株式会社賃貸ハウス社長 第873回 創業時の思い出

今から16年前の12月。

 

 

 

 

私は津田沼エリアの不動産情報を集めては、

 

 

 

 

ひたすら専用ソフトに入力していた。

 

 

 

 

不動産会社というのは宅建免許が下りるまでの約2ヶ月間、

 

 

 

 

一切の営業活動はしてはならない。

 

 

 

 

だから平日の昼間は不動産会社を回り、管理物件の資料をもらいにいき、

 

 

 

 

毎日外観写真と内装写真を撮りに行っていた。

 

 

 

 

そして15時ごろから20時ぐらいまで

 

 

 

 

ひたすら不動産情報を入力していた。

 

 

 

 

だんだんと免許が下りる日が近づくにつれ、

 

 

 

現金がジワジワと無くなっていく中で、

 

 

 

 

「私のやろうとしている賃貸仲介業は、上手くいくのだろうか」と

 

 

 

 

不安の方が増していった。

 

 

 

 

そんな中、一緒に準備をしてくれた社員がいた。

 

 

 

 

社員といっても雇用契約書は結んでいないし、

 

 

 

 

「有給休暇中なので12月までは給料はいりません」と、

 

 

 

 

朝の10時から夜の8時まで、週休1日で働いてくれた。

 

 

 

 

私は私で今までで生きてきた中で、一番仕事に全力を出していた。

 

 

 

 

本当に寝ている以外、すべての時間をネット掲載に充てていた。

 

 

 

 

そんな暮れも迫った12月27日。

 

 

 

 

予定通りに宅建免許の通知が届いた。

 

 

 

 

翌日28日になり正式に事業開始となるのだが、

 

 

 

 

もう年末であり、ほとんどの不動産会社は休みに入っていた。

 

 

 

 

私は社員に今までの準備に対しての労いの言葉をかけて、

 

 

 

 

明日29日から1月3日まで休んで欲しいと伝えた。

 

 

 

 

免許が下りたての会社に正月休みなんかはもったいない。

 

 

 

 

もし正月に休んだら何か自分に負ける気がして、

 

 

 

 

私は29日の土曜日も、朝7時からシャッターを半分に下ろして、

 

 

 

 

一人事務所でパソコン入力をしていた。

 

 

 

 

駅前通りのお店はもちろん正月モードだ。

 

 

 

 

道路を走る車の数も、スーツを着て歩く人の数も少ない。

 

 

 

 

ふと時計を見るとまもなく10時。

 

 

 

 

今日から休みと伝えたので出社してくる事はないが、

 

 

 

 

私の中で何故かふと社員が来るような気がした。

 

 

 

 

そして「もし10時に社員が来たら、

 

 

 

 

この事業は成功するのではないだろうか」という気がしたのだ。

 

 

 

 

そして9時58分。

 

 

 

 

表に人の気配がしたと思ったら、

 

 

 

 

シャッターの下に手が見え、

 

 

 

 

ガラガラガラと上げて「おはようございます!」と

 

 

 

 

社員が事務所に入ってきた時、

 

 

 

 

私は成功すると確信できた。

 

 

 

 

いま振り返れば、やっていたことは普通にブラック企業そのものだが、

 

 

 

 

私のこれまでの言いようのない不安が消えたいった瞬間だった。

 

 

 

その社員は今の私の妻であり、

 

 

 

 

毎年12月の暮れの時期になると

 

 

 

 

そのことが懐かしく思い出されるのであった。